新学期。学年が一つ上がるだけなのでこれといって特別なことはない。一つあるとすればクラス替えがあるという事だが、さほど興味がなかった。校門を通り抜けると多くの生徒達がある一か所に集まっている。クラス替えの貼られた紙を見ているのだ。
才基哲平(さいもとてっぺい)は群れるのは苦手だった。そのため本当はクラス表を見に行くのも億劫だったのだが、自分のクラスを確認しなければ教室が何処かも分からないので不本意ながらも人の群れへと近付いて行った。
「てっぺー!お前Aクラ!」
突如哲平のクラス名を大声で告げてきたのは同級生の神崎恭平(かんざききょうへい)だ。哲平は片手をあげて礼を告げると群れから出てくる恭平を待つ。
「ちなみに俺もA」
そう言うと恭平は笑顔を見せる。哲平はまじか、と声を出すと恭平と並んで教室へと向かった。
「そういえば金持ちのお嬢様が入学したらしいけどほんとだと思うか?」
「いや…金持ちがこんな学校に来るわけないだろ」
なんてどうでも良い会話をしていたら教室に着いた。そこには二年A組と書いてある。クラス替えと言ってもこの学校は中高一貫で、中学から通い続けている哲平にとっては別に真新しい事でもなく、ほとんどの同級生は見知った顔である。それに、別に新しいクラスだからと言って一喜一憂するつもりもなければ友達を作ろうなどと計画を立てている訳でもなかった。
哲平は人見知りなわけではないが、基本的に人を信用していない。その理由は哲平の事情にある。哲平は人の嘘を見破ることができるのだ。何か特別な能力があるとかそんな非現実的なものではない。ただ、どんな時にでも相手が嘘をつくとそれが一瞬で分かってしまうのである。その為哲平は嘘を心底嫌っており、嘘ばかりをつく人間とは関わりを避けていた。
予鈴が鳴り、ホームルームが始まる。担任は雑用を押し付けてくるという噂の小田先生(オダセン)だった。まあ雑用を押し付けてくるのは優秀な生徒にだけらしいのでいつも平均的な成績の哲平には関係のない話ではあった。そんなことを考えていたらホームルームが終わり、一日はあっという間に過ぎ去っていく。
放課後になると哲平は自分の所属しているバスケ部へと向かう。今日は始業式というのもあって体育館が閉まっている為、哲平は鍵を取りに職員室へと向かった。するとそこにはオダセンと一人の生徒の姿が。オダセンは大量の資料をその生徒に持たせていた。
「資料はこれで終わり。ちょっと大変かもしれないけどあなたなら安心して任せられるわ」
「はい。ありがとうございます」
そんな会話が聞こえてきた。オダセンはそれを押し付けた後あとは宜しくと笑顔を向けて職員室へと戻っていく。
(オダセンの噂、本当だったんだ…)
同情の目をその生徒に向けているとその生徒がふいにこちらを振り向いた。目が合ってしまう。確かこの生徒は同じクラスだったような…。
「才基くんだよね?」
突然話し掛けられた哲平は一瞬たじろぐ。まさか話し掛けてくるとは思いもしなかったのだ。哲平は頭を縦に振ると彼女はふにゃっと小動物のように笑い、呟いた。
「まだ一度も話したことないから緊張しちゃうな」
そう言うと彼女はあっと口元に手を当ててしまったと言わんばかりの顔をする。
「私の名前分からないよね…!私は羽原笑凜(はばらえみり)。同じクラスになるの初めてだよね?えへへ、宜しくね」
そして先程のようにまたふにゃっと笑う。哲平は予想外の展開に困惑しながらもこちらこそ宜しくなと挨拶を返した。何て言葉を言えば良いのか分からなかったので彼女が重そうに持っている資料の山を指差す。
「それ、全部任されてるの?」
「うん。でも私、部活もやってないし放課後は何もないから大丈夫だよ」
そう述べると羽原はじゃあと言って哲平の横を通り過ぎていく。哲平は羽原の背中を見送りながら言うべきかどうか悩んでいた。考えるのを止めて哲平は部活へと足を運んだ。
翌日弟が突然熱を出したので朝練は休むことにして早朝から店が開いている近くの薬局で必要な物を買ってきた。帰宅するとちょうど母はお粥を食べさせていた。弟はまだ小学四年生だ。年の離れた兄弟のせいか喧嘩をすることはない。
暫くすると母が少し見てあげてくれというので時間を確認しながら分かったと返事をした。弟の椅子を拝借して座るとベッドに横たわった弟が口を開いた。
「昨日あのゲームクリアできた」
「またお前は嘘か…」
弟は極度の嘘つきであった。なぜこんなに嘘をつくのか哲平には理解が出来ないが、弟が嘘をつかない日はない。哲平は呆れつつも布団をかけ直してやる。
「とりあえず寝れば治るただの熱だ。大人しく寝るんだぞ」
そう言うと弟も今日は大人しく素直に頷いて眠りについた。安心させるために寝れば治るとは言ったがやはり心配ではある。後で母が病院に連れて行ってくれるだろう。少ししてから母が戻ってきたので病院に行くよう提案してから哲平は学校へと向かうことにした。
朝練には行けなかったが授業には間に合う時間に学校へ到着した。哲平は下駄箱を開けると背後から聞き慣れない声がする。
「おはよう才基くん!今日は晴れて良かったね」
振り向くと昨日話をした羽原の姿。哲平は挨拶を返すとそうだなと相槌を打つ。これは羽原と一緒に教室へ向かう様子だ。哲平は気まずさを感じながらも羽原と世間話をしながら教室へと向かった。そういえば昨日の雑用は一人で終えられたのか聞こうとしたところで恭平の大きな声が聞こえてくる。元気よく手を振ってくる恭平に出迎えられながら哲平が教室へ入ると羽原はクラスの女子と楽しそうに会話を始めていた。
羽原は哲平と同じく中学からこの学校に通っていたが、哲平とは今まで同じクラスになった事も会話をしたこともなかった。羽原がどんな人物か分からず名前も昨日知ったばかりだが、クラスで色んな人物に話し掛けられているところを見るにクラスの中心的な存在なのだろう。羽原が歩くと誰かしらが羽原に声を掛けている光景を今日だけで何回も目にしている。
声を掛けられた羽原も笑顔を崩さず、また昨日哲平に向けたあの小動物のような雰囲気で時々ふにゃっと笑い、楽しそうに話す。哲平とは生きている世界が違うと思う。哲平は羽原から視線を外すと自分の席へと向かった。
放課後になると部活へ向かう準備をする。今日は職員室に寄る必要はなかったのでそのまま部室へ向かうと途中でクラスメイトの遊馬蓮司(あすまれんじ)と会った。哲平は蓮司の持っている物を見て思わず疑問を投げ掛けていた。
「部活入るのか?」
蓮司の手には竹刀袋があった。おまけに道着も着用している。蓮司はほとんど未経験であった剣道の試合に参加して優勝するほどの剣道の達人であったが、本人は全くやる気がなく何度も勧誘されているにも関わらず入部を断っているのだ。何の才能もない哲平からしたら勿体無いと思うのだが、それを蓮司に言っても聞くような奴ではない。
「いや、今日だけでいいっつーから出るだけ」
そう言うと面倒臭そうに体育館に歩を進めてった。蓮司のやる気のなさそうな背中を軽く見送ると哲平も部活へと向かい、特別な事もなく一日が終わった。
翌日になると弟の熱はすっかり良くなっていた。昨日は三十九度もあったが今日は三十六度、弟の平熱に戻っていた。念のため様子見で今日一日も学校は休むようだが、問題はなさそうなので哲平は朝練へと向かう。
朝練にはエースの一条(いちじょう)先輩と後輩が数人来ているだけだった。バスケ部の朝練は自由参加なのでいつもこのくらいではあるのだが、大体いつもいるのは一条とその他数人くらいのものである。
哲平はあまり先輩とも積極的に話すタイプではなかったが一条の事は尊敬していた。一条は練習も欠かさず出るし、バスケも飛びぬけて上手いのだ。何より一条のシュートは毎回格好良いものばかりで、中でもダンクシュートは一条の十八番でもあった。それを見る度、一条は並みの人間ではないと改めて思うのである。このバスケ部内では一番の総戦力と言って間違いないだろう。
そして上手いからといって偉そうなところがないのである。態度は他の先輩に比べると冷めた方だが、それは一条の人となりであるのを理解している為哲平は気にしていなかった。
「哲平、今のシュート良いじゃねーか」
シュート練をしていた哲平に一条が声を掛けてくる。哲平は素直に嬉しかったのでありがとうございますと礼を告げて再びシュート練を再開した。
朝練が終わると教室へと向かう。今日も特に何もなく終わるだろうと教室へ入るといつもの恭平の挨拶を受けてから授業が始まった。
放課後になると教室には誰もいなくなった。いつもは数人帰宅部の女子たちが話し込んでいるのだが、今日はそういうのがなかった。今日は蓮司が剣道の練習試合を体育館で行うそうなのできっとそれを観に行ったのだろう。蓮司は剣道が上手いだけあって女子からの人気は高い。今は中学生の彼女がいるという噂も出ている。哲平は今日の部活は休みだったのでそのまま帰宅しようと教室を出た。
廊下を歩いていると大量の資料を両手で抱えて教室へと向かう羽原の姿が目に入った。またもや目が合う。
「才基くん、また明日ね」
にっこり純粋な笑顔を向けてくる羽原の言葉には返事をしないで哲平は問いかける。
「まさかまたオダセンに頼まれたの?」
そう聞くと羽原はいたずらっ子のように困った笑みを向けてうんと頷いた。
「でも気にしなくて良いよ!すぐ終わるし嫌じゃないの」
そう言ってバイバイと告げる羽原は哲平の横を通り過ぎると先程まで哲平がいた教室へと入っていった。哲平はその背中を見送りながらも考え、不本意ではあったが教室に戻ることにした。
教室の扉を閉めると羽原は不思議なものを見たような顔でこちらを見た。どうしたのと聞かれる前に哲平は口を開く。
「俺今日は部活休みだから手伝うよ」
そう言って机を持ち上げて羽原の座っている机に向かい合う形でくっつける。こうした方が作業も早く終わると思ったからだ。羽原はポカンと哲平を見つめていたが少ししてふふっと笑みを見せる。
「ありがとう。じゃあこれお願いしてもいいかな?」
羽原に指示された事を黙々と進めていく。何故哲平は羽原の手伝いをすることにしたのか。その理由に下心の類は一切ないと誓えるし、羽原に同情した訳でもなかった。やはり言うべきかと思い至ったのだ。
一時間程作業をしてようやく雑用を終わらせることが出来た。これを一人でやると一体どのくらいかかるのだろうか。オダセンは鬼畜な教師だと少しだけ羽原に同情すると羽原が声を掛けてきた。
「ありがとう~!才基くんのおかげで早く終わったよ」
相変わらず小動物のような笑顔で話し掛けてくる羽原の目から視線を逸らすように哲平は告げた。
「あのさ、止めた方が良いと思う」
羽原は何を言われたのか分からないような顔をした。それもそうだ。これでは言葉が足らなすぎる。正直余計なお世話だとは思うし言うべきでないのも分かるが、哲平は言いたくて仕方がなかった。
「羽原、本当はそんな性格じゃないだろ」
それでも羽原は目を点にしている。思い当たる節がないとでもいうかのような視線を正面から受け止めることはできず、哲平は視線を逸らす。
「私はいつもこんな感じだよ?」
哲平はその真っ直ぐな視線に思わずたじろいでしまう。しかし確信しているのも事実なので一度言ってしまった以上は引く気にもなれなかった。
「俺、分かるんだ。嘘とか、猫被ってる奴とか」
そう言うと何だか空気が変わったような気がした。哲平はやはり言うべきでなかったかと内心考えていると身体が一瞬浮き上がる感覚と同時に哲平は椅子ごと床に投げ出された。何故こうなったのかよく分からず思考を必死に巡らせていると先程目の前にいた羽原の声が聞こえてきた。
「そんな簡単にひっくり返んなよ。男の癖に」
先程話していた人物とは思えないほど口調が異なっていた。羽原はゆったりとした話し方からどこか冷めたようなきつい話し方へと変化していたのだ。というかどうやら哲平がひっくり返った原因は羽原にあるらしい。机の下から足を伸ばして椅子ごと蹴り飛ばされたようだ。まんまとひっくり返された哲平も哲平だが、羽原のそのキック力もどうなのかと思う。
ガタっと椅子を引く音が聞こえる。途端に背筋が凍るような気配を感じて立ち上がろうとしたら目の前に仁王立ちをした羽原が突っ立っている。物凄く怖い。
羽原は満面の笑みをこちらに向けてくる。この笑みはなんかとてつもなく嫌な予感がする。
「ねえ、才基くん」
羽原のいや~な笑顔が哲平に近付いてくる。哲平の顔の近くで止まると満面の笑みを崩さず羽原はこう告げたのだ。
「この事話したらただじゃおかないよ?」
何か言おうかと思ったが無理だった。羽原ってこんなに怖い奴だったのか…猫を被っているのは分かっていたが、ここまで恐ろしい奴だとは思わなかった。哲平は本性を暴いたことを心の底から後悔した。
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